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千住、旧日光道を歩く
某金曜日、地下鉄日比谷線をほぼ端から端まで乗って
南千住駅で午前11時半待ち合わせ。

今日の最初の目的は「尾花」で鰻を食べること。
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うざく、白焼き、お重、肝吸い...。
各々好みのものを取ったり、分け合ったりして満腹。
噂に違わない美味しさに皆の顔に笑みがこぼれる。



おなかが満ち足りた所で次の目的へ。
Nさんの周到な準備と案内で、旧日光街道を荒川まで歩く。
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千住宿は奥州街道第1番目の宿場で、
その後道は、日光道(陸羽街道)、旧下妻道、旧水戸街道へと分かれる。
ここから芭蕉は「奥の細道」への第一歩を踏み出し、
大橋は広重や北斎の浮世絵の題材になっている。

千住大橋に向かう大通りに面してある「すさのう神社」
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裏に子供の名が書かれた子育て絵馬がビッシリ並んでいる。
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狛犬も子連れ。
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千住大橋は1594年にかけられた隅田川で最も古い橋(現在のは1927年)で
江戸時代たもとには川越舟の舟着場があり
芋、薪炭、塩、砂糖などの荷揚げがおこなわれた。
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伊豆長八の鏝絵のある稲荷神社のきつね。
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足立市場からは国道4号線を離れて旧日光道に入る。
道の両側の「屋号」の看板が目に付く。
ここは「やっちゃぼ」青物問屋街跡。
「やっちゃぼ」の語源は威勢のよいセリの掛け声と言われている。

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今は面影さえない本陣跡、旅籠、遊郭街を想像して歩く。
東京に唯一軒の絵馬屋。
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森鴎外の父が開業しており、鴎外がドイツ留学まで住んでいた場所や
将軍の鷹狩りの休息所だった「赤門寺」といわれる勝専寺を通り、
骨接ぎで知られる名倉病院。今も開業。
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そして遂に荒川放水路に出る。これが今日の大目的。
夕闇が迫る中で荒川は堂々と流れていた。
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Nさんの解説によると、
今の隅田川(旧荒川、入間川)は、名前が現すとおりの「荒ぶる川」であった。
氾濫、乱流を繰り返すこの川を治めるため
江戸時代初期より工事が行われてきたが、
1910年の大水害を機に下町を洪水から守るための放水路が造られた。
これが今の荒川、巾500m。

1930年に竣工したこの難工事を指揮したのは
パナマ運河建設に携わった唯一の日本人、青山士であった。
青山士は、初め測量技師として雇われ、
やがて設計の仕事を任されるようになった7年半の間に
実地に技術と工法を学び、日本の土木事業に貢献したという。(日経新聞「春秋」07・09・08)

お土産は、炭火で焼いたお団子。
最後のひとつを包んでもらった。 残り物に福?
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by sawa_keura | 2007-11-24 11:59 | 食べる
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